00070 ブログと垣間見
, 141.icon
2025-10-31, 2025年10月31日 / 10月 , 2025年10月
#書きかけ
https://gyazo.com/3a8a81cf19a5f3e2b43955a7624bec92
記事タイトルのナンバリング方法を変えてから、数ページ書きました。いい感じ。
00068 記事タイトルのナンバリング方法を変更
日記を個別ページで記録するようになって、当然ですが書く分量が増えました。これまでのような毎日の記録は、プライベートプロジェクトに記録しています。非公開なので、記録できる情報も詳細に。書きながら考えて、また記録を見返して、ここに書きたいと思うことを思いつく。良い傾向。
「ブログを書く」ということ自体、最近はあまり流行らないのかもしれません。いや、今でも文章を書いて、公開することは行われていますね。noteなど。
それでも、最近いくつかのブログで、昔のブログ文化を懐かしむ声を目にしました。141.iconも当時を懐かしむ一人。その理由を改めて考えると、これは必ずしも懐古主義的な話だけでは済まないような気がします。
ブログを読む目的を、読者の立場から考えてみると、一つは、何かを買った報告、レビュー、雑記など、書かれた文章から何らかの新しい情報を得るということがあります。でも、それとともに、ブログを読む楽しさには、発信者の考えや生活を想像するということがあるような気がします。これは別に変な意味ではなく、ブログの内容も単に商品やサービスを勧めるようなものではなく、文章には著者の考えや想いが表れていて、それを読むことで、自分との違いや共通点を楽しむ。そのような楽しみがあったような気がしています。あくまで141.iconの場合かもしれませんが。
プログには「垣間見の文化」があるように思います。文章を通じて、著者の生活を垣間見、その一端に触れ、共感し、想像する。そこには、著者との程よい距離感があるように思います。
動画が隆盛の今の時代、141.iconも毎日のようにYouTubeなどの動画は見ます。最新の詳細な情報を視覚的に得ることができる良いメディア。エンタメ性もとても高い。でも何か物足りない部分も。動画はメッセージ性がとても強い。視覚的な印象が強すぎるため、目に入ったこと以上に、視聴者が想像できる自由度は相対的に少ないような気がします。
一方のブログも、かつてステマ問題があったように、情報を演出して伝え、特定の意図を印象付けるような書き方もされています。ブログも単に商品やサービスを勧めるようなものが量産され、サーチエンジンで検索されるブログの多くを占めるようにもなりました。その結果、良質なブログが埋もれてしまう。量産された、ある種のテンプレートで書かれた文章ばかりに。これを読むのはとても苦痛。ブログ文化が衰退した要因の一つかもしれません。
そして、現在は動画も文章も、AIが生成した情報をそのまま目にするのが当たり前になってきました。もちろん、141.iconもAIを日頃から便利に利用しています。でも、最終的な出力は、人間よって創作された創作物に触れたい。人間の思想や感情に触れたい。
ブログを書く、または読むことで、誰かと、程よい距離感で繋がる楽しさ。AI時代だからこそ、そんな楽しさをもう一度体験したい。こうした想いが、書く分量を増やしたいという意識に働いたのかもしれません。